藍住町議会視察研修・28/10

藍住町議会・視察研修・28.10月5日

5日~7日の日程で友好都市、山形県河北町へ議会議員16名・石川町長・事務局・計18名で視察研修を行った。目的は河北町との友好都市締結25周年を記念して、また、今後さらなる両町発展のための意見交換など。

台風16号接近の中、大した影響もなく出発することができた。飛行機から東北新幹線に乗り換え河北町についたのは午後1時30分。田宮町長をはじめ職員全員で歓待を受けた。
河北町役場
庁舎内で1時30分からの研修会では議長・副議長・常任委員会・担当職員などによる藍住町との友好都市締結から25周年に当たる歴史の紹介・町づくり計画・議会活動などについて説明があった。河北町は、山形県のほぼ中央で、東は最上JII、西は出羽丘陵、南は寒河江川に接し、平地は寒河江川と法師川などの扇状地になっている。

山地の最高点は535.6mで、大部分は200m以内の高さ。東一帯の平地は、89. 7m、最上川付近で86. Omの標高である。東西に約8km、南北に約11kmの長さの土地で総面積は52.45 k㎡で、平野部は約70%を占めている。気候は、寒暖の差が著しい典型的な内陸型気候である。

町の遺跡からは、5千年から6千年前の土器や石器が発見されている。この地方の開発は、平安時代の初期から始まったものと見られる。約800年前、大江広元がこの地域を支配した。

その後、中条秀長が入部し、6代にわたって当地の開発に尽力した。代わって谷瑕疵主となった白鳥十郎が山形城主最上義光に亡ぼされ、以後この地方はすべて最上家の統治下になった。

河北町一望  
その後、幾変遷を経て江戸末期には、代官支配のほか戸沢領、山形領と3分されて明を迎えた。明治時代には、しばしば行政区の改正が行われ、明治29年に谷地村が町制を施行し谷地町となり、河北地域の中心となった。昭和29年10月1日の町村合併により、西里村、溝延村、谷地町、北谷地村の1町3力村で「河北町」が誕生した。

江戸時代、山形県は紅花の産地として知られた。最上川流域の肥沃な土地から産出された紅花は「最上紅花」と呼ばれ品質、収穫量とともに珍重され京や江戸に運ばれたと言われている。

議会活動について質問した。河北町議会では平成22年に議会基本条例を制定している。毎年行われる議会報告会の開催状況と住民の議会に対する関心度はどのようなものか。

議員からの回答では地域ごとに3日間かけて行っているが15~16人の参加数で関心が高いわけではない。今後の取り組みとして様々な方法で周知できるよう努めていく。など、どこでも同じように住民の議会に対する関心の低いことが課題だと感じた。
研修
宿泊は、町施設、紅花温泉ひなの湯、ひなの宿、泉質の良さで入浴効果も高く、特に神経痛やリューマチなどに効くといわれている。交通の便も良いため町内及び町外の人々からも幅広く利用されて、年間約50万人の入湯者で憩いの場として人気がある。
ひなの宿
研修2日目です
ひなの宿から数百メートルのところに町民プールがある広大な敷地に、総工費6億円を投入して建設された、温水プールも備えており小中学生は無料。田宮町長は、平均寿命は高いものの健康寿命は低い傾向にあり社会保障費が増加している。
町民プール
住民の健康増進のために思い切って建設した。家族連れでたくさんの住民が利用している、これも住民の健康のためだ、各施設の経常経費の負担も大きいが住みよいまちづくりに取り組んでいると説明。


サハトべに花館視察。丸いのは最近オープンしたプラネタリウム
sahato
敷地面積27,866平方メートル、延床面積6,383平方メートルの施設、交流室や会議室他、客席807席のホールは特に音響設備など充実した仕様になっている。クラシック、オーケストラなどあらゆるジャンルの形態に対応した造りになっており、予算は惜しみなくつぎ込んだと話す田宮町長。
町民に一流の音楽を楽しんでもらいたい、その思いで議会、職員で協議しながら進めてきた。住民の文化芸術振興を目指した自主事業も積極的に取り組み一流アーティストのコンサートなどは入場料の半額補助を行っている。河北町の文化の高さが感じられた。
ホール


べに花資料館視察。
この資料館は、近郷きっての富豪だった堀米四郎兵衛の屋敷跡。屋敷の総面積は約80aで、かつては土蔵が6棟、板倉が7棟もあったが、老朽化が甚だしく、母屋をはじめ多くの建物が整理され解体された。
画像の説明
この屋敷には武器や生活用品および古文書など5,000点を保存している。昭和57年にこれらの寄贈を受けた町が、漸次整備修復を加え、昭和59年5月に「紅花資料館」として開館したもの。紅花から染料ができる工程などの説明をうけ職員の指導で紅花染に挑戦。ハンカチがきれいに染まりました。
紅花染



移動の途中・山寺立石寺
定番の昼食場所になっている(東北の霊場 山寺立石寺『宝珠山立石寺』)
松尾芭蕉が『奥の細道』で「閑さや岩にしみ入る蝉の声」という俳句を詠んだ有名な名所で 山寺は全国でも知名度の高い観光スポット。

山寺とは愛称であり、実際は『宝珠山立石寺』というのが正式名。平安時代前期、第56代清和天皇の命により、比叡山・天台宗の高僧の慈覚大師により開山された霊場。ガイドは大仏殿のある奥の院までは、石階段が千十五段あり、山寺の頂上に到着するまでに 約30~40分ほど時間がかかる。 往復1時間余りで降りこられるが途中でだめだと思ったら止めてもいいと説明。
頂上付近
ガイドら20人全員で登りはじめて、悠々20分少々で頂上へ到達、自らの体力を試すよい機会になった。修学旅行なのかたくさんの小中学生、挨拶すると元気な声が返ってくる。外国人観光客もたくさん登っていた。

山寺芭蕉記念館へ移動。
芭蕉が「奥の細道」の旅で山寺を訪れてから三百年目、同時に山形市ができてから百周年を記念して、平成元年に建てられたのが「山寺芭蕉記念館」です。
記念館では、芭蕉に関する文書や映像などが観賞できる他、研修室や茶室などが利用できる。

江戸中期の俳人。伊賀生。名は宗房、別号は桃青・泊船堂・芭蕉庵等。北村季吟に貞門派を学び、江戸に下って談林派の感化を受ける。のち、数度の旅を通して俳諧に高い文芸性を加えた蕉風を確立する。元禄7年(1694)旅先の大坂にて51才の生涯を終える。
画像の説明
当時、芭蕉が各地を回って認めたとする詩や手紙はサッパリ読めないし意味も全く分からない、当時の人々の見識の高さと学力に感嘆する。世相や詩情を心に感じたまま書に表し多くの人々の心を捉えた高度なテクニックは時代を超えて益々輝きを増す、その魅力はどこにあるのか勉強してみたいと思った。

研修3日目です
東京江戸川区タワーホール船堀にて視察研修。
タワーホール船堀の概要・(正式名称:江戸川区総合区民ホール)

施設概要
① 建設年月日 平成11年3月16日
② 総事業費 3 9,1 6 7, 9 4 6千円
③ 所在地・江戸川区船堀4-1-1
④ 敷地面積・7, 609. 54㎡
⑤ 延床面積・44, 707. 85㎡
⑥ 構造・鉄骨鉄筋コンクリート事務所建て、地下2階、地上7階十展望塔
⑦ 施設内容・大ホール(7 5 0席)、小ホール(300席)
展示ホール、会議室(17室)、リハーサル室、和室(2室)、
イベントホール、バンケットルーム、控室(3室)
タワー展望塔・高さ1 1 5m、(100人程度) 
タワーホール
商業施設(飲食4、物品販売4、サービス1、事務所4、ATM 3 )、
医療検査センター、障害者協議室(3団体)、産業振興センター、
女性センター、江戸川エコセンター、映画館(2スクリーン)
指定管理者制度により運営(平成18年度より導入)

指定管理者名:株式会社アターブル松屋
指定管理期間:平成28年4月~平成38年3月 10年間
指定管理料:388,176千円(平成27年度決算額)
地上115mからの眺めは江戸川区内360度の景観が楽しめる。連日にぎわう展望タワーは無料開放している。大小ホールの稼働率を質問した。稼働率は常に70%を超え区内外からの利用者も多い、ホール等の稼働率は70%あれば上出来だと言う。
江戸川区内
担当者によると施設は常にメンテナスが大事、快適に使っていただくよう最善のサービスを提供できるよう努力している、特にホールの音響関係は専門の技術者を常駐させている。満足のいく施設を提供するにはそれなりの費用を必要とするとの説明であった。

結婚式場も2室備えている、最近の傾向として、結婚式を挙げる割合は49%半分以上は婚姻届けだけで済ましている、また、式場参加者数も50人程度で家族親戚等で行うシンプルな披露宴になっているとのこと。
結婚式も葬式も傾向としては家族等、少人数で行うのが主流になりつつある。
式場

帰路・昼食場所浅草・仲見世通りの様子
浅草といえば『雷門』浅草のシンボル的存在で、写真撮影の場所としてもおすすめの観光スポットになっている。常に人で溢れかえっている人気の名所です。

『雷門』をくぐるとみえるのが本堂まで続く一本道の『仲見世通り』両脇にはおみやげ屋、屋台が軒を連ねていて、見て回るだけでも楽しい。徳島で例えればお盆の阿波踊りの賑わいが年中続いているようだ。
仲店通
ちょっとした食べ物から浅草定番のお土産まで、『仲見世通り』には何でも売っている。まず驚くのはアジア、アフリカ、中東など外国人が圧倒的に多いこと。
着物の貸衣装を身に付けて歩く若い外国の女性が日本文化を楽しんでいる。

研修を終えて
今回の研修で山形県河北町の、まちづくり計画は田宮町長の先見と実行力、住民や議会との対話、協議を真摯に行い納得と共感のもとに、施設整備の充実を行い、子育て支援、人材育成、健康寿命の延伸などに思い切った予算を投じていることだ。

近年、移住者が増加傾向にあるのも町政策に魅力を感じての結果ではないかと感じた。また、河北町の歴史を最大の売り物にして町民全体が町に誇りを持てる伝統文化や歴史を積極的に振興していることも素晴らしいい。

東京江戸川区タワーホール舟堀の運営は区の防災拠点として機能できるよう整備を進めている。江戸川区は低地域であり地震災害などに備えた防災対策が課題となっているようだ。

各施設、建築17年経過した今でも大変きれいに保たれている、利用者が何を求めているのかを常に考えメンテナスを最大に行っていると感じた。そのための維持管理は多額の費用が発生することもこれからの施設更新には十分考慮する必要がある。

2泊3日の研修会は大変勉強になった。

ホーム

}}